アフリカとの出会い49

 
 Mama Othaya (ママ・オザヤ)   

  アフリカンコネクション 竹田悦子
 「ママ・オザヤ」 尊敬を込めてそう呼ばれる人がいる。

 ケニアでは、結婚した女性は子供を持つと長男の名前を付けて呼ばれる。例えば私の場合は、長男の穣(じょう)の名前を取って、「Mama Joe(じょうのお母さん)」とケニアでは呼ばれる。日本でもご近所さん同士では、「~の奥さん、~のお母さん」と呼び合う習慣があるがそれに似ている。ただケニアでは、村中、国中の人からそう呼ばれるところが違う。

 しかし、私が中央ケニアニエリ県にあるothaya(オザヤ)村を訪ねたとき、「ママ・オザヤ」と地名で自己紹介するおばさんがいた。私の夫は、彼女を「お母さん」と呼び、彼女は私の夫を「boy(ボーイ)」と呼んでいた。夫の親戚なのか、近所の人なのか分からないまま私はこの村のこのおばさんの家に数日間滞在した。Othaya村は、夫の母の実家があるところであり、挨拶をかねての初訪問であった。

 朝、おばさんと一緒に水汲みに出かけ、薪をくべて紅茶の準備をする。その間にヤギのミルクを絞っておく。ウサギや鶏にえさをあげ、家の掃除。朝ごはんにチャパティというパンを焼いてくれた。その後畑に出かけ、農作業。お昼には、ギゼリという豆料理を作るために、豆ととうもろこしを2時間ほど煮る。それにしても、おばさん自身の家族が見当たらない。でも用意したお昼ご飯は、どうみても30人前くらいの量だ。

 「お昼ご飯は、人が沢山くるのですか?」と私が訊くと、「子供が沢山学校から帰ってくるからね」と言った。暫くすると、幼稚園生、小学生、高校生、大人までいろんな年代の人が次々におばさんの家に集まってきて、昼食を食べる。おかわりをし、おしゃべりをし、それぞれに楽しい時間を過ごす。おばさんの家は、とても狭い。10人くらいが入れ替わりながらお昼ご飯を食べていく。その日だけで、35人くらいの人が来た。

 すべての人が帰り、食器を洗いながら叔母さんは言う。

 「みんな私の子供じゃないのよ」

 「私は結婚もしてないし、子供も生んだことはないのよ」

 「私の名前を聞いて、想像できなかった?」と聞いてきた。

 結婚しなかったおばさんは、自分の父親から地名(othaya)を与えられ、mama othaya(ママ・オザヤ)と呼ばれるようになったそうだ。そして、「私は子供を生めない身体を神様から授かったのね。ケニアの農村では、そういう女性と結婚する男性は当たり前だけどいないでしょ。でもね、私は商売が得意だったから、小さなビジネスをしているのよ。その傍らで、農作業で忙しいお母さんたちの代わりに子育てをしているのよ。本当にもうたくさんの子供を育ててきたわよ。貴方の旦那も私が小さい頃はずーと育てていたから、彼は今でも私のことをママとよんでいるでしょ?たぶん村で一番私が子育て上手」と笑った。

 ママ・オザヤに子供を育ててもらった家族の数は本当に数え切れないという。その誰もが、そんなおばさんのことを尊敬し、愛し、信頼している。おばさんは「自分の子供を生まなかったからこそ、たくさんの子育てが出来た」と言う。そしてそれが自分の運命だとも。他人の子供の子育てにかかる費用も自分の仕事で得た稼ぎでやってきたと言う。

 今、おばさんが育てた子供は大きくなって、成人した後もおばさんへの感謝を忘れない。夫もケニアに帰ると、必ずおばさんの家で泊まる。そしておばさんへの心ばかりの援助をする。お金や衣類や食べ物を適宜、おばさんは育てた子供達からもらっている。最近仕事を減らしているおばさんは、育てた子どもたちの援助で、今も育てた子供たちの子供たちの面倒をみていたりしている。

 実は私が泊まった夜、ちょっとした事件が起きた。みんな寝静まった後、私が1人で寝ていた部屋のドアを乱暴に叩く音がした。それは何度も続き、私は怖くてひたすら音が止むのを待っていた。次の朝、おばさんにその報告すると、次の日は同じ部屋で寝てくれた。また前夜のようにドアを叩く音がした。その音を聞くや否やおばさんは、とび起きて、床に置いていたパンガ(ケニアでよく使われている農作業用のなた)をつかんでドアを開けた。犯人は逃げた。誰かは未だに分からない。外国人を泊めるのは、ケニアでは危険なことなのだろう。私の金品を狙おうとした人がいてもおかしくは無い。そんな危険なことも承知で、自分が育てた子供が連れてきたお嫁さんを泊めて、危険があれば、武器を持って守る。

 私財を投げて、時に危険を冒して、人の子供を育て続ける。そんなおばさんの唯一の趣味が「タバコ」だ。すべての仕事が終わった一日の終わりに、イスに座って静かにタバコを嗜む。女性がタバコを吸うことはケニアでは非常に珍しいことだ。
「タバコ、おいしいですか?」と私が聞くと、それには答えず、

 「私の育てたBOYは、とても自慢の息子だよ。よろしくね」と笑ってくれた。

 ケニアでは、結婚してもしなくても、女性が子供を生むことはごく当たり前のことだ。

 子どもを生むとか生まないとかを自分の意思で「選択」したり「決断」したりできるようになる迄にはケニア女性はこれからもまだまだ自分達の権利として主張していかないといけないかもしれない。そんなケニアでおばさんが辿ってきた道は私の想像をはるか超えた難しいものだったかもしれない。

 しかし、これまでの苦労を感じさせない笑顔で接してくれるおばさんと暮らしてみると、これまでのそんな苦労はたいしたことではないような気がしてくる。

 ― 「すべては神が決めたこと」 ―

 幾度となく聞いた、ママ・オザヤの口癖だ。
 


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